| 靖国神社を本来の姿に
「本神社は明治天皇の思召(おぼしめし)に基づき、嘉永6年(注=1853年のペリー来航)以降国事に殉ぜられたる人々を奉斎し、永くその祭祀を斎行して、その「みたま」を奉慰し、その御名を万代に顕彰するため、明治2年6月29日創立せられた神社である」
敗戦後の昭和27年、靖国神社が一宗教法人として再出発するにあたって制定された靖国神社の「社憲」には、このように記されています。
天皇陛下の命(めい)で戦地に赴き、お国のために命(いのち)を犠牲にした方々に対して・国家を代表して、天皇陛下がみずからこうべをたれる−。靖国神社の原点はそこにあります。天皇陛下がおまいりするためにつくられた神社なのです。
ところが、「ご親拝」、すなわち天皇陛下のじきじきのご参拝は、昭和50年(1975年)の昭和天皇のご参拝を最後に途絶えています。今上天皇は89年の即位以来、一度もご参拝されていません。途絶えた原因については、すでに、徳川義寛侍従長ら昭和天皇の側近の証言で、昭和53年(1978年)にA級戦犯の刑死者ら14人が合祀されたことと関係していることが明らかになっています。今年7月に明らかになった故・富田朝彦元宮内庁長官が書きとめた昭和天皇の発言メモで、改めてそれが裏づけられました。
昭和天皇がA級戦犯の合祀に不快感を示され、それ故に靖国神社への参拝が途絶えた、ということは、靖国神社は天皇のご意思に逆らってA級戦犯を合祀した、ということに他なりません。天皇陛下がおまいりするためにつくられた神社が、そのような事態に陥り、天皇のご参拝が途絶えていることは、英霊にも申しわけないことではないでしようか。
A級戦犯を合祀した当時の靖国神社の宮司である故・松平永芳氏は、宮司を辞めた後、「私は就任前から、『すべて日本が悪い』という東京裁判史観を否定しないかぎり、日本の精神復興はできないと考えておりました」と書き残しています。A級戦犯の合祀は、東京裁判を否定するために行われた、と解釈できます。
私も東京裁判はすべて正しかったという立場に立っているわけではありません。裁判の手続きからいっても数多くの問題をかかえているのは事実です。米軍による原爆投下が裁かれていないなど、一方的な面があったことは否定できません。でも、戦争責任の問題についての政治的決着の姿として裁判という形をとり、日本はその政治決着を受け入れて、講和という次の段階に歩みを進めたのです。あくまで政治決着の世界の話なので、いまさら法的に正しい、正しくない、という議論をしても仕方がないのです。いみじくも政治の世界に身を置く若手議員のなかに、そういった議論を熱心にする人たちがいるのは、政治的な未熟さを露呈しているという意味で、残念なことだと思います。
靖国神社にまつられているのは、第2次世界大戦の戦死者だけではありません。日清戦争、日露戦争は、日本の存亡をかけた、より厳しい条件での戦いでした。そういった戦争の犠牲者にとってみれば、A級戦犯は何の関係もありません。そして、太平洋戦争でも赤紙一枚で召集され、はるか南方で散華した英霊にとっても、靖国神社が東京裁判を否定せんがための神社となってしまい、本質から外れてしまっているのは、迷惑千万でしょう。
靖国神社は一日も早く、昭和天皇のお気持ちを真剣に受け止めて、合祀したA級戦犯を「廃祀」すべきです。神社側は「分祀」は神社祭祀の本義からいってあり得ない」と主張していますが、まつらなかったことにすることは、いったんまつられた後、生存が確認された小野田寛郎さんの例などもあり、できないとは言えないはずです。
そして、天皇陛下がわだかまりなくご参拝できるようにすることこそが、靖国神社を本来の姿に戻すことなのです。
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