| 国家護持には無理がある
さて、靖国神社が宗教上の理由を挙げて分祀を拒んでいる現状を打開するため、靖国神社の宗教法人格を外し、国家の管理下に置くことによってA級戦犯の分祀を実現しようという構想も出てきました。そうした構想をあたためている方々が、分祀の方策を真剣に考えていることは理解できますが、いかに分祀のためではあれ、靖国神社の国家護持には賛成しかねます。
昭和49年(1974年)、日本遺族会が進めてきた国家護持運動の成果として、「靖国神社法案」が衆議院本会議で自民党単独で強行可決されました。私はそれを一年生議員として経験した一人です。当時はまだA級戦犯が合祀される前で、純粋に信仰の自由の問題でした。法案は参院で廃案になり、結局、日の目をみることはありませんでした。
私がそうした経験もふまえて、国家護持に無理があると考える理由は、戦没者をいったん神としてまつった以上、その神様を国家が引き受けるのは、政教分離の原則からいって無理だからです。理屈のうえでは、もし国家の管理下に置くのなら、まつった神を、靖国神社のほうで神ではなくする手続きが必要だということになります。それでは、靖国神社のこれまでの営みをまるごと否定することになりかねません。
靖国神社は宗教法人として残し、神社の主旨に反するA級戦犯を「廃祀」して本来の姿に戻す。そして、第2次世界大戦における犠牲者の追悼のため、国が直接関与できる方策として、軍人・軍属だけでなくそれ以外の戦争犠牲者、つまり空襲や原爆の犠牲者、沖縄戦で犠牲になった民間人のほか、中国をはじめとするアジア各国、そして米国など相手国の犠牲者を含めて慰霊の対象とする、超宗派の国立追悼施設を別に設置する−。それこそが、内外で議論を呼んでいる「靖国問題」を解決するための現実的な方策だと考えます。
|